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言及は報道ではない

公開日 2026年8月4日 · 1

ある依頼者が、表計算ソフトのファイルを持って相談に来ました。四十行、それぞれが信頼できる媒体における自社への言及でした。地元の経済誌が選んだ「40歳以下の40人」への選出。同業他社六社とともに「注目すべき企業」として紹介された業界レポート。参加者の一人として名前だけが記載された、あるカンファレンスのレポート。彼はそれらを四十件の証拠として数えていました。しかしWikipediaにとっては、そのほとんどがゼロに等しいものでした。

特筆性の基準は、登場した回数を数えるものではありません。求められているのは、対象を直接かつ詳細に扱った、非自明な言及です。出典そのものが述べていないことを推測したり補ったりせずに、その内容だけを根拠に記述できるだけの分量と具体性が必要になります。ある出典が完全に独立していて、申し分なく信頼できるものであっても、対象について実質的に何も語っていなければ、この基準は満たされません。

非自明な言及とは、対象を直接かつ詳細に扱っており、その内容を記述するのに独自研究を必要としないものを指します。単なる言及以上のものでなければなりませんが、出典の主題そのものである必要はありません。
WP:GNG、大意

依頼者の表を埋めていたものの大半は、まさにこの「単なる言及」にあたるものでした。掲載媒体がどれほど有名であっても同じです。四十人の名前をそれぞれ一文で紹介するリスト記事から、一つの段落を書き起こすことはできません。参加者一覧は、その人がその場にいたことを示すだけで、そこで何をしたかは何も語りません。他人についての記事の中で一行だけ引用されている場合、それはその記事本来の主題についての報道であり、たまたま彼から一文を借りているにすぎません。

私たちが本当に探しているのは、もっと限られたもので、最初に聞くと少し気が滅入るような話です。二、三本、時には一本だけでもかまいません。ある記者がその対象そのものを取材しようと決め、実際に相応の分量を割き、対象自身が用意した資料からは得られなかったはずの結論に至っている記事です。そうした一本の人物紹介記事は、残りの三十九行を合わせたものよりも大きな意味を持ちます。それだけが、彼の「周辺」ではなく、彼「について」書かれた唯一のものだからです。

ですから、そうした表を前にしたとき、私たちが最初にすることは行を増やすことではありません。むしろ、ほとんどの行を取り除きます。残ったものを、本当に対象について書かれているかどうかで並べ直し、そこに何が残るかを正直に見つめます。それだけで十分なこともあります。まだ材料が足りないと分かることもあり、その場合はどれだけ言及を積み重ねても状況は変わりません。四十件の言及と二本の人物紹介記事は、量が違うだけの同じ証拠ではありません。種類そのものが異なる証拠であり、意味を持つのはそのうちの一種類だけです。

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各エピソードは編集部の執筆。AdrianとNoraの音声はAI生成です。