ある創業者から連絡がありました。自社について「英語では何も出ていない」という理由だけで、もう望みはないと思い込んでいたのです。アメリカの業界専門メディアに取り上げられたこともなければ、英語の通信社記事に名前が出たこともない、審査担当者がざっと目を通しただけで気づくようなものは何もない、というのが彼の説明でした。ところが実際に持っていた資料は、自国を代表する経済紙に掲載された二本の人物紹介記事、国内のビジネススクールが編纂した業界史の一章、地域の業界誌に載った長いインタビューでした。すべて母語で書かれたものです。彼はそれを見せる前から、どれも役に立たないと決めてかかっていました。
実際には、それらは十分に役立ちます。英語版Wikipediaは英語で書かれていますが、扱う対象が英語圏に限られるわけではありません。出典に関する方針が問うのは、その出典が書かれた言語ではなく、独立していて信頼でき、対象について実質的な内容を伝えているかどうかです。地方紙であっても、しっかりした人物紹介記事は、ポルトガル語でも、韓国語でも、フィンランド語でも、英語の場合とまったく同じ働きをします。
同程度の質と関連性を持つ出典であれば、読者が内容を検証しやすいという理由から、英語の出典が優先されます。ただし、信頼できる出典を、英語で書かれていないという理由だけで却下してはなりません。
英語が優先されるのは、英語版という場の読者への配慮であって、その対象について何が事実であるかを選別する基準ではありません。最も有力な出典が他の言語で書かれている場合でも、該当箇所の翻訳を添えたうえで出典として使うことができます。そうすることで、数か月後、あるいは数年後に別の編集者が、それを加えた人物を信用するしかない状態ではなく、実際に出典がそう述べているかどうかを自分で確認できるようになります。
この「翻訳して確認する」という作業は、本当に資料が乏しい場合とは分けて考える必要があります。依頼者が持ち込む問題は、言語の問題ではなく、独立性の問題であることも少なくありません。記事を装った広告記事、業界団体の会報、記者の署名つきで配信されてはいても実質はプレスリリースをそのまま流しただけの記事などです。こうした出典は、どの言語であっても同じ理由で通用しません。この二つの問題を取り違え、英語での言及さえ増やせば解決すると思い込むと、本来の課題とは違うところに労力を注ぐことになります。
そのため私たちは、何かが不足していると判断する前に、書かれた言語を問わず、まず資料をすべて見せてほしいとお願いしています。一見絶望的に見える案件の半分は、実はすでに材料がそろっていて、ただ違う問題の下に分類されていただけなのです。