ある依頼者が、定評ある業界メディアに掲載された記事を転送してきたことがあります。リンクを開く前から、すでに満足げでした。記者の署名、信頼できる媒体名、会社名を冠した四百語ほどの記事。よく読むと、その四百語のほとんどは創業者自身の答えを、記者の質問でゆるくつないだだけのものでした。
その媒体は実在し、出資関係の面では会社から独立していました。しかし、それだけではその記事が対象について独立した報道になるわけではありません。あるソースが独立しているかどうかを決めるのは、どこに掲載されたか、誰の署名かではなく、取材対象者以外の誰かが、内容を調べ、確かめ、判断するという作業を実際に行ったかどうかです。
「独立した内容」とは、対象者やその関係者に帰せられるものではなく、また彼らが提供した内容をそのまま伝えるだけでもない、独自の記述を指す。
署名があっても、書き起こしは書き起こしのままです。記者は質問し、創業者は答え、その答えはほぼそのまま印刷されました。会社の外にいる誰も、事業計画の主張を検証せず、公表された売上高を決算書と突き合わせず、競合他社にその説明が妥当かどうかを尋ねてもいません。記事は確かに存在し、査読者にもそれは見えています。彼らが見ているのは、その記事が存在する以上のことをしているかどうかです。
私たちがいま行っている確認は機械的なものです。記事から引用符の中身を取り除き、残ったものを読みます。対象者自身の言葉を取り除いた途端に段落が空になるなら、その段落は媒体名がどれほど立派でも、一度も独立した内容ではなかったことになります。段落がそれでも残るなら、記者が自ら調べた説明、他の資料と突き合わせた数字、批判的な指摘、それこそが引用に値する材料です。
手元に残るのは、届いた資料の束が想像させるより、ずっと少ない量です。インタビューを集めたフォルダは関心の証しのように見えますが、引用符を外す確認をかけると、たいていは接触できたことの証しにすぎません。この二つは同じではなく、ガイドラインが本当に求めているのは、そのうちの一つだけです。