ある依頼者から、社内ですでに書き上げられていた経歴文が届きました。創業者は「先見の明がある経営者」、会社は「数々の賞を受けた」「業界内で名高い」と記されていました。どの言葉も事実に反していませんでした。創業者は実際に賞を受けていましたし、会社も同業者の間で確かに知られていました。それでも査読者はこの下書きを差し戻しました。理由は文体でした。
この案件の中で、依頼者を最も戸惑わせる点です。Wikipediaは事実を疑うだろうと誰もが思っています。ところが疑われたのは形容詞のほうで、事実そのものが問題になったことは一度もありませんでした。
Wikipediaはこの種の言葉を「孔雀語」と呼びます。証拠に語らせるのではなく、対象の重要性をそのまま主張してしまう言葉のことです。「先見の明がある」「数々の賞を受けた」「名高い」「業界をリードする」「世界水準の」——これらは厳密には嘘ではありません。ただの評価であり、どのようにその評価に至ったのかを読者に示していないのです。百科事典は言葉を信じてほしいとは求めません。確かめられることを求めます。
対象の重要性が本物であることを、単に読者に告げるのではなく、事実と出典によって示すこと。
解決策は形容詞を和らげることではありません。取り除いて、そこに事実を置くことです。「数々の賞を受けた」は、賞の名称、授与された年、授与団体、そして出典に置き換わります。「業界内で名高い」は、業界紙が実際に何を書いたのかを、その媒体名とともに記す一文に置き換わります。称賛は消えます。しかし、それが指し示していたものは残ります。
依頼者はしばしば、これで記事が味気なく、自分たちが書いた版より控えめに見えてしまうのではないかと心配します。実際にはそうなりません。名称と年月日を伴う受賞歴は、「数々の賞を受けた」という形容詞よりもずっと確かなものとして読まれます。クリック一つで確認できるからです。読者も査読者も、信じてほしいと頼む文よりも、根拠を示す文を信頼する傾向があります。
私たちは今、下書きが査読者の目に触れる前に、形容詞をひとつひとつ読み直し、同じ問いを繰り返します。この言葉の背後にはどんな事実があり、それは出典で裏づけられているか。答えが「ない」であれば、その言葉は削除します。嘘だからではありません。出典で裏づけられない称賛を、百科事典は必要としないからです。