特筆性が決めるのは、その主題が記事を持つに値するかどうかです。記事の中に何を書くべきかについては、何も決めません。この二つの問いを混同すると、最初の削除依頼は乗り切っても、その後の数か月で中身を削られていく記事ができあがります。
ウィキペディアの編集者たちは、この結果に名前をつけています。コートラック、つまりコート掛けです。主題そのものは実在し、記事冒頭の段落は記事を成立させるだけの出典に裏付けられています。問題はその先で、冒頭の段落にコートが掛けられるように、あとの部分がぶら下がっていくのです。提携先の一覧、業界内の小さな賞の羅列、社外では誰も報じたことのない環境活動についての段落、企業自身のサイトから写した取引先リスト。どれも単独では記事を成立させません。冒頭で独立した情報源がすでに役目を果たしたあとは、残りの部分が、単独では通用しなかったはずのものすべてにとっての空きスペースになってしまいます。
名目上はある主題について書かれているが、実際には別の主題――多くの場合、宣伝的か、偏っているか、あるいは名目上の主題の特筆性とはまったく関係のないもの――を語るために書かれた記事。
同じ業界の企業についての二つの記事が、同じ年に書かれ、その裏にある事情がいかに違うかを示しています。一方は、業界紙の記者なら見覚えのある二つの段落――設立の経緯と資金調達、どちらも独立した情報源で報じられたもの――を持っていましたが、それが社風や社員向けのウェルネス施策、そして企業自身の広報資料に基づく経営陣の経歴といった六つの段落の下に埋もれていました。ある編集者がタグを付け、その六つの段落を午後の間に削りました。残ったのは短く正確な記事で、その後二度と何かを提案されることはありませんでした。出典に裏付けられた部分は、もともと余分なものを必要としていなかったのです。
もう一方の記事は、同じ種類の余分な部分を取り除いてみると、下にはほとんど何も残っていませんでした。同じ週のうちに四つの媒体が書き直しただけの資金調達の発表と、採用告知が一件。削ったことで記事が短くなったわけではありません。独立した情報源が自ら進んで取り上げたことなど一度もなかった記事の実態が、あらわになっただけでした。削除依頼は一か月以内に出されました。
この二つの結末を分けたものは、誰かがはさみを手に取るずっと前に、すでに決まっていました。裏付けのある部分とない部分の比率そのものが、診断になるのです。裏付けのない記述を取り除いても安定したスタブとして残る記事は、最初から本物の根拠を抱えていました。取り除けば何も残らない記事は、根拠など一度も抱えていなかったのです。冒頭の段落の上に、束の間、根拠らしきものを羽織っていただけでした。
私たちは、こうした余分な記述が積み重なっていく順番とは逆の順番で仕事をします。まず出典を探し、完成した記事の長さは、その出典が責任を持って支えられる分だけにします。クライアントが自社のアーカイブから提供できる分量ではありません。三つの段落しかない記事が三つの段落のままなのは、独立した情報源が実際に取り上げているのがその分量だからです。そのような記事のほうが、見栄えよく水増しされた記事よりも、その後のどんな議論においても持ちこたえます。